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2011年3月23日水曜日

香港 家族連れ出張 平日

香港と東京の時差は1時間。日本の8時は香港の7時だ。もともと、朝弱いのに、日本に併せて仕事をしようとすると1時間前倒しになってしまう。夜は、香港時間で進み、寝ている間に行き成り東京時間へリセット。いつも通り2時に寝ると、3時間しか眠れない。これは、本当に苦痛だった。
でも、時間のことを除けば、香港の仕事は本当に面白かった。久し振りに、プロフェッショナリズムを実感した。いやー、本当に面白かった。




 その間、家族は遊び半分、お勉強半分で行動していただいた。例えば、香港ディズニーランド。

 お父さん、ここに見えるビルで働いてまーす。息子は、「とうたん、どうして旅に来てるのに、お仕事なの?と本当に不思議そうだった。よって、夜、こっそりオフィスに連れていく。「とうたん、東京にも香港にもお仕事の場所があるんだねー」と納得した模様。
 香港は、英語教育が安い。一週間、5日x4時間の英国人によるワークショップにぶち込んでみたが、1週間でたったの1,100HKD≒12,000円。流石は旧植民地だけある。公園でも、地元っ子と遊べた模様。
 お父さんが帰ってくるのは、18時から19時ごろ。サービスとアパートメントのあった上環近辺を深夜徘徊した。15分1000円程度のQuick マッサージが有難かった。

 こちらは、九龍からみた、Hong Kong Symphony of Lights いやー、香港パワーさく裂って感じで面白かった。


2011年3月21日月曜日

香港 家族連れ出張

紆余曲折ありましたが、計画通り家族連れの香港出張だ。

今年は、下の子がまだ飛行機代がかからず、上の子はある程度物事が分かる年頃になってきたので
積極的に海外出張に家族を同行させようと思っている。それが、勉強したいとか、英語を学びたいとか、世界は広いとかいう色々な認識の礎になることであろう。

私が初めて海外に行ったのは高校2年生の交換留学だった。行き成りの海外で、1年の滞在はかなりの無謀?まあ行かせてもらっただけ有難いのだが、やはりある程度の基礎認知を積み上げたのちに行うのが良いのではないか?幼少の時から海外に出られると言うのも、日本社会の成熟故であり、有難くその恩恵を享受したい。

 家族は別にエコノミークラスでもいいのだが、なにも言わなかったら4人分、ビジネスクラスにしてくれた。有難い。しかし、初めての海外旅行がビジネスクラスとは贅沢な子供だ。僕が初めてビジネスに乗ったのは、大学2年生の時のUAのマイルを使ったフライトだった....。台北経由の想定よりはロングフライトだったが超快適。

つうことで、色々ありましたがやってきましたよ香港。思えば、「えーーーーーー!こんな街があるんだ!!!」と僕が香港と恋に落ちたのは1992年の春だった。その後何度も渡航しておきながら、なかなかこの恋が実ることはなかった。直近では、2000年の冬に渡航したのを最後に、2010年春まで10年も間を開けてしまったほど。しかし、この1年ではこれは3度目の香港渡航。一気に、これまでのギャップを埋め合わせるようにHKとの距離が近づいていると実感している。これから3週間の生活が始まるわけだが、極めて自然体に接することが出来た。やはり、Londonの次はHKか!?


2011年3月20日日曜日

再びHK

計画停電なども行われる中、東京の機能を緊急避難的に分散する必要があるという決定がなされ、再びその要因として香港派遣が決定。

この時の香港政庁の決定は凄かった。労働ビザと免許の即日交付だ。明らかに、万が一、東京がダメになった場合の頭脳流出の受け皿となろうと言う意思が見て取れる。これだけの決断が数日でなされていることが凄い。

「香港に行くのは良いけど、こんな状況下で一人では行けませんよ!」ということで、家族ぐるみの出張を会社に認めてもらった。当然のことを言ったまでではあったが、そういう話がすんなり通ったことについて、やはり米国系企業の懐の深さを感じた。日本企業の業務遂行に於いては、家族は犠牲を払うべき存在である。一方、欧米系の企業に於いては家族が犠牲になることはあり得ない。そんな状況が起きれば、大事な人材が即辞めてしまいかねない。万全を尽くすという思想が貫いている。

所で、F1の水素爆発により大量の放射線がリリースされたのが15日から16日にかけて。東京でも通常レベルを大きく上回る放射線が観測されている。14日に疎開させたのは全くの正解だった。子供が大きくなったら、お父さんがこの危機の状況下どう動いたか、きちんと説明してあげたい。きっと、有難く思ってもらえるだろう。僕は、彼らを守るためにメディアや楽観論に惑わされることなく、最大限の危機管理を行った。

家族は福岡に疎開させているので、今回は羽田ではなく福岡発の香港行き。先ず、金曜日の夕方の福岡行きに乗る。機内は、かなりの外国人ファミリーが乗っていた。まあ、当然だ。

 3/18(土)。今日はつかの間の休日だ。3/12に開業したにもかかわらず、震災の影響であらゆるセレモニーが中止になってしまった九州新幹線を見に行った。博多駅もこの通りのリニューアルオープン。なんか、札幌駅前見たいだぞ!?
 新幹線で、熊本、鹿児島へ!もっと遠い場所だったと思っていたのに1/3の時間でつけてしまう。
 つばめです。
指定席はなんと2-2のシート配列。木を多く使ってあり、居心地の良い空間。
 シェードまでも木製。これ、良いよね!
 落ち着いた雰囲気の車内。
 40分弱で熊本駅。速い!!ホームには、新幹線をみるために、入場券を買って入ってきた人多数!みなさん楽しげ。震災の雰囲気は全くなく、なんだか気持が落ち着いた。
 熊本は2年前の年末年始に家族で訪れて以来。当時、水前寺公園などなど見て回ったが......
 年に3日間しかない休業日で熊本城に入れなかった。よって、今回初の入場。
 阿蘇の外輪山を望む眺望は最高だった。桜のつぼみもはちきれそうに膨らんでいて、春の訪れを感じた。
 帰りは、「さくら」。N700系の改良版だ。そういえば、年末に工場見学で見たなぁ。つばめ以上にシックな雰囲気が最高。

こちらは、グリーン車。飛行機のビジネスクラスの様だ。一度、大阪<=>鹿児島を乗って見たい。

2011年3月12日土曜日

震災後

3/12 早朝へ帰途に。土曜早朝なのにかなり混んでいる。みんな知らない人なのに不思議な連帯感。大変だったねー。怖いねー。でも僕も含めてみんな、「震災」についての感想であり、「原発問題」がどこまで大きくなるかの認識は低かった。漸く家に辿り着く。木造の築十数年の一戸建てであるが、写真盾が落ちた程度。今回、薄型TVが落ちて壊れたという話を何件も聞いたが、未だに29インチブラウン管の我が家は勿論大丈夫!

兎に角寝た。

日曜日、TVとTwitterを見て改めてビックリ。原発が抜き差しならぬ状況だ。幼い子供が二人も居る我が家の危機管理発動。これは、危機管理だ。リスク管理ではない。リスク管理は、確率論の世界だが、危機管理は起こってしまった場合にカタストロフィックイベントになるケースへの対応。

幸いにして、明日から香港出張。上司に確認を取ると行ってよいとのことなので、先ずは既定路線に乗ることが危機対応だ。

3/14 羽田発のキャセイに乗るべく、空港へ。しかし、搭乗20分前にアナウンスで呼び出され、出張中止命令.........。向こう2週間のあらゆる出張をキャンセルすべしとのこと。出国手続きも終わっていたが、マネジメントの決定ということであれば、逆らえない。色々と書類を書き、パスポートにVOIDのハンコを押されて再入国。

兎に角疎開の意思は固まっていたので、そのまま国内線ターミナルへ。
私「ANAが良い?JALが良い?好きな方で良いよ」
息子「どうして~。キャセイで香港行きたーい!」
そりゃそうだよなー。香港、あんなに楽しみにしていたのに。
でも、香港はダメになったのだ。有無を言わさず、一番早く出るJAL便に妻子を乗せ福岡に疎開をさせた。

その後、車でオフィスに向かう。首都高はガラガラで、すぐに着いた。一日余震の中通常業務を行った。何だか慌ただしい日々だ。現実感が薄い。原発は、まだ暴走中。

2011年3月11日金曜日

2011年3月11日

2011/3/11 14:46
僕は、ホテルの一室で初対面の人とミーティングをしていた。

「あれ?なんか揺れてません?」
先に気がついたのは僕だった。免震構造の建物がギシギシゆさゆさと長時間にわたって揺れている。
1993年に奥尻島が壊滅的被害を受けた北海道南西沖地震を思い出していた。
この揺れは、タダものじゃないな?

あの時、僕は家庭教師先で英語を教えていた。かなり長い揺れに沈黙。その後帰宅してテレビを見ると、ひどいことが起きていた。なるほど、遠くで起きる甚大な地震はこんな形で東京に伝わるんだなぁとその時思った。

そのホテルの部屋は、壁紙がビリビリと剥がれたが、幸いにも9Fだったためにモノが散乱するという様な事は起きなかった。初対面の人と机の下に10分隠れたのち、指示に従い外に出る。その後も何度も余震が来る。これはもう今日は仕事にならないなぁ。その後の予定を放り出し、取り敢えず1時間45分かけてオフィスに戻った。
もちエレベーターは動いておらず、徒歩で登る。

電車は動いておらず、徒歩帰宅組と会社滞在組に分かれる。僕は14日より海外出張を控えていたのでどうしても準備をしたく、ステイ組に。この時点ではまだ原発が大きな問題になるとは思っていなかった。そのうち、会社の中にあるアルコールをかき集めてミニ酒宴すら始まった次第。

これが、僕の3/11の記録。混乱の中でも、まだ日常の延長と思っていた。これが、Another Worldへの入り口であったとは微塵にも思っていなかった。


2011年3月6日日曜日

神代植物園の梅の花



桜まであとひと月のこの時期、梅の花が美しい。でも、梅は桜ほどあちこちで見れるわけではない。
ということで、毎年この時期は神代植物園に梅を見に来ている。梅を見つつ、ひと月後の桜の花に思いをはせている。今年も、可憐で美しかった。

2011年3月4日金曜日

ソウル出張 仕事編

仕事面でもなかなか収穫が多く大変有意義な出張だった。詳細をここに書けないのが本当に残念。
韓国人の英語力の高さには驚いた。みんな全く訛りがない。聞けば、みなさん大なり小なり留学の経験がある。お蔭で全く問題なくコミュニケーションが出来た。日本語でのミーティングと同じような密度でやり取りができ、格段に効率が良かった。

それにしても英語って重要だなぁ。英語さえ出来れば、本当に世界が広がる。30歳までに、最低2年は英語圏または米語圏で生活し、英語を体得することを日本人の皆さんには強く勧めたい。日常会話だけでは一線は越えられない。やはり、ここぞというタイミングで知的な冗談をポンと言えるほどにならないと、本当に心の奥まで入り込めない。

 韓国車です。BMWのデザイナーを招へいし、デザインを一新。かなりかっこいい。
 こちらは、アコードやカムリ、アルティマなどの競合車。あれれ、カムリよりかっこいいよ。
こちらは、Civic、カローラの競合車。カローラよりかっこいい。
いやいや、本当に密度の濃い3日間だった。勉強になったなぁ。どうも最近、韓国企業に惨敗しているが、まだまだ日本の企業も競争力あるなぁと改めて感じた旅であった。お互い切磋琢磨したいものだ。

2011年3月3日木曜日

ソウル出張 市内散策編

今回は8時から18時まで3日間予定がパンパンに入っている。これだけの予定をこなすと流石に夜は一人になりたい。夜は予定を入れずに街を散策した。
 アジアチックな屋台
あちこち日本語が氾濫していた。
明洞の街は新宿みたい。街中は大阪の雰囲気を感じた。
 毎回旅先では必ず中央駅による事にしている。やはり駅はヘソだし、交通の要所でもあるので、街のつくりが良く理解できる。ソウル駅は大陸を感じる駅だった。パリのGare du Nordに似た雰囲気。
 機関車も大きく大陸的だ。
こちらは新幹線KTX。乗って見たいなあ。ちなみにアルストム製。
街中は高層ビルがいっぱい建っていて近代的な雰囲気。

2011年3月2日水曜日

ソウル出張 食べたもの編

韓国行ってきますと家族にメールをしたら、母からおいしいサムゲタンを食べてきてくださいとの返事。なるほど、サムゲタンかー。


ということで、明洞のサムゲタンのお店 JI Ho Family に入った。サムゲタンはW12,000≒900円だ。
キムチや茶わん蒸し、朝鮮ニンジンのお酒もついてこの値段は大満足。おいしかったー。

出張のひそかな楽しみはルームサービスの朝食。一日の食費の上限内であれば自由に使えるが、昼はビジネスランチ、夜は会食の事も多く、朝食のバジェットにかなり振り向けられる。しかも、必ず朝にピンポーンとやってきてくれるので、大事な予定を寝過ごすリスクを排除してくれるのも有難い。
 初日は、コーヒーと韓国風チキンと朝鮮ニンジンのおかゆ。前日、あまりにまずい機内食のため食事をスキップしていたので、これは本当においしかった!
 二日目は、恒例の家ではなかなか食べられないエッグベネディクト。ルームサービス取るなら絶対に卵料理はエッグベネディクトだよね!!
3日目はフレンチトーストとコーヒー。何故、ルームサービスはいつも無駄にWilkin&Sonsのジャムが付いてるんだろうなぁ。毎回これはお持ち帰り。

2011年3月1日火曜日

ソウル出張 飛行機とホテル編

ソウルに初めて行ったのは1992年12月だった。日々、色々な情報が入るので、もう何度も訪れたことがある気がしていたが、実は18年もご無沙汰だ!朝鮮日報の日本語ウェブサイトを見ると、「韓国人は最近日本人を見下す傾向にあるが.......韓国経済も盤石ではない。戒めたい。」みたいな社説があった。その記事に非常に刺激され、無性に行きたくなってきた。幸い、面白そうな出張の理由もある。よっし、行くぞ!と出張を決めた。


 迷わず、羽田<=>金浦線を予約する。飛行機は19:45発。仕事が完全に終わってから出られ非常に便利だ。前回の北米出張の際、サンフランシスコから到着便で国際線ターミナルを使ったが出発するのは初めて。とてもきれいだったが、ターミナルはまだガラーンとしている。人もまばら。お店がいくつも入ってるが、これじゃあかなり経営は厳しいだろうなぁ。

 冬の西行き航路は強い偏西風へ向かって飛ぶことになる。対地速度は540Km.hと出ていた。向かい風が約400Km!今日は通常以上に強い様で、予定を超過して3時間のフライトだった。まあ、この分は帰りの便の貯金となるので良しとしよう。
社内ルールで3時間以内の国際線はエコノミーと決まっている。日本発の路線でエコノミーに乗るのは99年頃にエールフランスでポルトガルに行って以来だ。今世紀初のエコノミークラス。まあ、短時間フライトなので文句はないのだが、機内食には驚いた。過去にアメリカンの機内食で犬が食べるような食事が出て閉口したが、今回のJALの機内食のお弁当もこれに負けず劣らずの粗末さだった。経営再建中ということで、わざとまずいものを乗せて同情をかってるのか??と思うほど粗末な食事だ。日本は何を食べてもたいていおいしく、ここまでまずいお弁当などそうそう出会わない。原価は恐らく50円だろう。いやー、刑務所の食事の様だ。人間の尊厳を試されているようで、口にできなかった。万が一JALのエコノミーに乗る場合は、次からはおにぎりを持っていこうとう思う。それほどひどかった。
ホテルは、グランドハイアットに泊った。そこそこ古く、広くもないのだが高台から漢江、漢南方面が望めなかなかの眺望だ。ロビーの雰囲気もなかなか良く、まあ満足した。
 部屋からの夜景
 日の出
帰国は金浦空港から。ちょっと早く着いたのだが、まあ、出国手続きしてからゆっくりビールでも飲もうと、さっさとイミグレをくぐる。これが大失敗。なーんにもなかったのだ。寒いガラーンとした国際線ターミナルで仕方なくお仕事をした。
帰りのお弁当は、輪をかけて凄かった。もう、呆れて文句すら言えない。一口も食べなかった。なんだかんだ言って、チケット7.5万円だったのに、この内容は残念だ。せめて原価200円位でやってほしい。