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2011年6月21日火曜日

中国出張 Day3 済南=>灘坊=>上海


 今日のルームサービスも中華式。昨日の北京は3000円を超えていたのに、ここでは1000円弱。こういうところに、地域差が出るなぁ。なかなかおいしかったが、麺が「味の素」臭いのは閉口。「味の素」の罪は本当に大きい。ろくに下味も作らず、パラパラやっちゃう。アジア中でこの味に出くわす。本当に残念な瞬間だ。
 これがホテルからの眺め。北京⇔上海の新幹線の停車駅となり、急速に投資が進んでいる。
 街じゅうで、こういう大規模な建築をやっていた。
 ただ、この街ではまだそこそこの自転車を目にした。中国の都市は、誰が決めたのか、規模によってTier1、Tier2、Tier3.....と分けられている。この済南はTier2都市だが人口は800万人。どんだけ、人がいるんじゃー。
 立派な建物は全て共産党、政府がらみ。あ、日本もそうか。地方都市に行くと、市庁舎だけは立派だもんね。
 街中。道だけは広い!
 済南市の駅。ここから、CRH 中国版新幹線に乗ります。
 中国の鉄道は、直前まで改札がなされず、こういうところで待つことになる。いやー、人が多いわ。
 大陸的な、駅の様子。
 こういう機関車もまだ健在。横の客車は、ウルムチ行き!大学時代、あの客車であちこち旅をしたなぁ。
 そして、これが今話題の中国版新幹線CRHだ。川崎重工と南車のJVで作ったのだが、いつの間にか技術を盗まれ、独自技術と吹聴されてしまっている!!

 車窓。工業地帯と農業地帯が混とんと存在している。東海道新幹線沿いみたい。
 灘坊市へ。ここも、道だけは広い。先ず、高速は4車線。一般道も最低3車線。

 駅前は、新しいビルが沢山建設中だった。
 灘坊駅前。
 駅前の様子。

 行きは1等で、そこそこ静かだった。問題は帰りの2等。もう、騒然としている。酒飲んだり、トランプしたり、ひまわりの種を食べたり。硬坐の車内と全く変わらない。変わったのは、列車の速度だけだ。
 駅前の露天。
今日は、夜に済南から上海への移動。22時にはチェックイン出来るはずが、上海浦東が午前中天候不順で、全ての飛行機が虹橋に着陸したため終日ダイヤが乱れていると。結局、3時間出発が遅れ、チェックインしたのは午前1時半過ぎ。過密スケジュールの上に、最後がこれだ。心底疲れた。
 上海のホテルはフォーシーズンズ上海。フォーシーズンズは、僕が最も気に入っているホテルブランド。重厚な雰囲気が最高に心地よい.........はずなんだけど、もうへとへとでそんなの楽しむ気分にすらなれなかった。
実質滞在は、6時間。それで、こんな良いホテルに泊るのは本当に勿体ないよー。これなら、ビジネスホテルで全くOK。甚だ残念だ。

2011年6月20日月曜日

中国出張 Day2 北京=>済南

 パークハイアット北京の朝食ルームサービス。今回は、これが一番おいしい朝食だった。揚げパンを豆乳に浸して食べるやつ(何て言うんだっけ?)が面白い。お粥も良かった。
 部屋からの眺め。かなりの公害。外に出ると、石炭が燃えるようなにおいがしている。
 街中の様子。途上国というフェーズはもう終わったことを実感する。インフラは巨大で、非常に良い。アメリカの都市をマネして作ったことがよくわかる。
昼にちょっと時間が空いた。外車ディーラーが乱立している場所だったため、冷やかしに入って見た。先ずは"ベントレー"。中国の金持ちの特徴は外見では全く判断出来ないこと。どこにでもいる様なオッサンが車を買っていく。このディーラーは一日1台、ベントレーを売るらしい!!!!!
ちなみにお値段は4百万元。約50,000,000円ですね。たっぷりと税金がかかるので、こんな値段に。それでも、1日1台売れる!!!!!いやー、恐ろし。
 ベントレーの横は、ロールスロイスのディーラーだった。ショールームに6台並んでいた。もう、壮観。
若いお姉さんを連れた、短パンにポロシャツのおっさんが、吟味していた。
 筋向いはランボルギーニ。5台並べてありましたが、全て「SOLD]というサインが掲げてあり、納車待ちの模様。あー、凄いなぁ。中国。
 さて、お仕事の方は....。仕事については、書けません。なかなか、実りある1日であった。
今週は連日夜のフライトで次の都市に飛ぶ。よって、毎晩機内食か、時間があれば空港食。正直つらいなぁ。空港の韓国料理屋で牛のスープを食べる。これが今回唯一のレストラン夕食。残りは機内食だった。トホホ。
本日は、Crowne Plaza Jinan。まあ、普通に快適。

2011年6月19日日曜日

中国出張 Day1 北京へ

中国に5泊6日の出張に行った。先月末、今月初めにも出張案件があったのだが、原発事故が収束しない中、家族を東京に置いておくのは非常に不安だった。しかし、今回はなかなか面白い内容であったし、いつまでも出張拒否する訳にも行かないので、思い切って行くことに。
常に、原発状況をモニターすべく、モバイルルーターをレンタル。移動が多かったため、空き時間に仕事が出来て非常に重宝した。かなり田舎でも使えて、便利。
最短の滞在で済ませようと思い、行きは日曜日の夜発、帰りも金曜日の午後とした。本来なら、朝の羽田発で行って、半日観光くらいしたかったのだが......。北京行きのJALは737-800。飛行時間4時間なのだが、そんな距離飛べるとは知らなかった。しかし、首都同士を結ぶこの路線が767と737の2便のみとは実に寂しい限りだ。ビジネスクラスは6席しかなかった。
 北京への飛行ルート。前回の北京は確か1993年だったと思う。まだ、天安門事件の記憶が生々しかったころだ。いやー、そんなに間が空いていたってショック。当時はこの北朝鮮に引っかかるルートは飛べず、上海まで真っ直ぐ行った後北上する経路だった。5時間ほどかかっていたと思う。
ソウル上空を通過中。
北京空港。でかい。ただただ、でかい!
 チェックインは23時。パークハイアット北京泊。明日は朝早いため、取り敢えず風呂に入りすぐ就寝。先週からなぜか腰が痛く、思いやられる。部屋はなかなかモダンで広く快適だったが、正直それ以上の記憶が既にない。慌ただしい一週間だったからなぁ。
洗い場付きの異様に広い風呂だった。リビングからバスルームまでフルオープン。何もさえぎるものがない。大きくて、なかなかお湯が貯まらないのは困った。部屋が乾燥していたので、このままお湯を抜かずに寝る。あー、しかし深夜チェックイン、早朝チェックアウトの出張にこんなホテル使うのは勿体ない。

2011年6月18日土曜日

井の頭線の紫陽花

首都圏における井の頭線はかなり地味な存在。あらゆる私鉄が郊外から都心へ人を運ぶ中、吉祥寺から渋谷という南北でもなければ東西でもない中途半端な方角へ走っている。

初めて乗ったのは1991年の3月。滑り止めの私大の合格発表は電報で知らされた。順調にパス。まことに味気なかった。電報メールを、バリっと開封し、「あー、またあった」てなぐあい。本命くらいは、自分の目で見てみたいという思いを止められなくなった。時刻表を引くと、京都まで新幹線で行けば、その後は鈍行でも志望校の合格発表に間に合う!居てもたっても居られず、15時ごろの博多発の新幹線に乗ったと思う。20年前の話だ。

早朝の品川で降り、渋谷まで山手線、そして、井の頭線へ乗り継ぐ。当時、祖母の弟が沿線に居を構えていた。もち、初対面だが、早朝5時頃にあたたかい出迎えを受ける。早朝から、純和風の朝食を頂いて、いざ合格発表へ!!!!  そして、受かった~!!!

そのまま91年4月から、井の頭線での下宿生活が始まった。東京の生活が良いと思ったことは一度足りともないのだが、そうは言っても井の頭線は東京では最も親しみが持てる沿線だ。当時の彼女=今の妻ともこの沿線を何度も行き来した。青春の思い出がぎっしり詰まった沿線で、子供を育てるのもなかなか楽しい。
井の頭線の花の季節は勿論、さくらから始まる。この時期だけは、急行ですら「井の頭公園」に止まる。沿線には数々の名所あり。
 しかし、余り知られていないのが紫陽花の季節。正に、今です!パステルカラーの井の頭線と同様、沿線のあらゆるところに紫陽花が植えられている。6月中、楽しめます。この時期は、絶対急行に乗るべきじゃない。ゆーったりと、普通にのって沿線の紫陽花を鑑賞してほしいと思う。井の頭線の魅力は、鈍行にあり。

2011年6月13日月曜日

子供が描く原発事故


夕食後、5歳になったばかりの息子がサラサラとなにやら書き出した。呟いている言葉は、「1号機、2号機、4号機、汚染水、セシウム、ヨウ素、ストロンチウム、プルトくん、原子力建屋」などなど。「今日は汚染水の故障」とかも言っている。小さい四角がどうも「1号機、2号機....」の模様。上の黒いのが、爆発で飛び散る放射性物質の様だ。そして、左上の黒い部分の真下にある黄色い部分が「もうどくのプルトくん」らしい。真ん中右はロケットで、乗ってるのは妹。脱出を図っているらしい。本人は真ん中左側で、どうも自分で飛べるようだ。右側に両親を書こうとしたが、スペースがなく、途中で辞めて黒塗りに!?

んー、幼稚園児がこんな言葉を知っているなんて、ショックです。でも、本人と妹が明るい色で描かれていて、ちゃんと逃げられているというところが救いかな。親が黒塗りは、やや絶句だが。それにしても、特に教えたわけでもないのに大人の会話やTV、ラジオの声をちゃんと聞いてるんだなぁ。

原発賛成か反対かは民主主義なんだから、みんなで決めればいい。ただ、pros and cons は具体的な数値をもってきちんと議論しないと。イデオロギー論の人が多すぎる。特に、"知識層"に「そうは言っても、資源小国なんだから現実に即した判断を.....」って安易に言っちゃう人が多い。また、その議論の中には、経済的な部分以外に、安全保障へのインプリケーション、万が一の場合には今回の様に次世代以降に渡って多大な影響を及ぼすことを現世代がどう判断すべきかということも当然考えなければならないであろう。僕の試算では、全部止めてもピーク電力をで20%カット出来れば供給問題は十分クリア出来る。総使用量ではなく、ピークという点が肝だ。エアコンの使用方法がカギを握る。電気量の値上げは、月にたったのY1,000で済む。原発汚染への保険と考えれば、安いものだ。そして、このまま定期点検後の再開がなされなければ、否応なしにこの実験は行われることになる。色々な見方があるが、1Fの収束なくして、再開はないのではないか?今年の夏は暑そうだが、来年の夏はもっと暑いかも。こうやって、乗りきって見て、その経験を踏まえて真っ当な民意が形成され、最善の手段がインプリメントされることを切に願いたい。すくなくとも、54基も要らないことだけは確かだ。

追記:
このブログを見た友人から、うちはもっと凄いというメールが来た。同じく5歳児だが、なんと1Fの工作をやるそうだ。うちの息子と違い立体感がある!1~4号機まで揃っている。
5歳児がこういうことをやってるんです。大人の判断、責任は重要だ。

2011年6月5日日曜日

飛騨高山遠征

会社の近くで、飛騨高山観光キャンペーンのパンフレットを配っていた。過去に2度訪れ、大変気に行った街であったが、もう10年以上ご無沙汰だ。久し振りに訪ねてみたく、蓼科から遠征する。諏訪から松本まで高速に乗り、その後、安房トンネルをくぐり山の向こうに出る2.5時間コース。なかなか走りがいのあるドライブルートだ。
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 さてさて、やってきました高山市。この、落ち着いた和風の街並み。たまりません!
 外国人、修学旅行などなど、結構旅行者でにぎわっていました。ここまで来ると、完全にNuke Free!心底リラックスして楽しめた。
 街の中には地酒屋さんも多い。この「山車」さんは、試飲無料。4時間後には車を運転するので、それぞれ舌の先にちょこっと乗せるだけ。それでも、味の違いは分かる。色々と迷った結果、キリッと辛口のやつと、フルーティなやつを二本買ってみた。
 中心街を離れても、美しさは変わりません。
 日帰りなので、食事の機会は頑張っても2回しかない。しかも、もう東京では封印してしまった外食が、ここでは可能。あれこれ迷ったものの、やっぱりB級グルメに流れる。お昼は飛騨高山ラーメン。んー、らーめん、久し振り!
そして、ちょっと早めの夕食は えびす本店のお蕎麦。実は、10年ほど前に訪れたことがある。街中を歩きながら、あのおいしかったお蕎麦をもう一度食べたいなぁと探していた。最後の最後に発見!やはり、覚えていた味。おいしかった。

2011年6月4日土曜日

蓼科の初夏

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わがまち杉並区は、昨年首長が変わった。風を思いっきり読み間違って任期の途中で職を放棄し国政選挙に打って出たものの敢え無く敗北した前首長に代わって当選したのは、与党系の人。頑なに、区内の放射線量を測かることを拒絶。国の仕事と一点張り。んー、またまた納税意欲が失せる。今年は最大限、被災地に「ふるさと納税」するつもりだ。昨年、計算方法もマスターしたしね!一円でも多く、おくりますよー。現在、一番困っている自治体を調査中。

 ということで、汚染程度が正確に把握できずいまいちスッキリしない杉並区を後にして蓼科へ。この辺は、下水処理場のスラッジにこそそこそこの線量が出ているものの、土壌汚染、空間線量共に東京と比べると格段に少ない。長野でもこの辺は安全地帯と考えてよさそうだ。前回、2月の蓼科旅行の時は本当に平和だったなぁ。当時は雪景色だったが、今回はすっかり初夏の様相。こうやって決まった場所の四季を楽しめるのも、リゾート会員券の楽しさだ。

 近くのJAのスーパーでは、野菜、卵、肉、蕎麦、豆腐などなど、地元産の物を多く売っている。しこたま調達した。蓼科の田園風景。美しく、平和だ。福島でも、こんな風景が広がっているのだろう。見た目は全く変化ないのに、放射性物質に汚染されてるとは、本当にやるせないなぁ。