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2011年6月20日月曜日

中国出張 Day2 北京=>済南

 パークハイアット北京の朝食ルームサービス。今回は、これが一番おいしい朝食だった。揚げパンを豆乳に浸して食べるやつ(何て言うんだっけ?)が面白い。お粥も良かった。
 部屋からの眺め。かなりの公害。外に出ると、石炭が燃えるようなにおいがしている。
 街中の様子。途上国というフェーズはもう終わったことを実感する。インフラは巨大で、非常に良い。アメリカの都市をマネして作ったことがよくわかる。
昼にちょっと時間が空いた。外車ディーラーが乱立している場所だったため、冷やかしに入って見た。先ずは"ベントレー"。中国の金持ちの特徴は外見では全く判断出来ないこと。どこにでもいる様なオッサンが車を買っていく。このディーラーは一日1台、ベントレーを売るらしい!!!!!
ちなみにお値段は4百万元。約50,000,000円ですね。たっぷりと税金がかかるので、こんな値段に。それでも、1日1台売れる!!!!!いやー、恐ろし。
 ベントレーの横は、ロールスロイスのディーラーだった。ショールームに6台並んでいた。もう、壮観。
若いお姉さんを連れた、短パンにポロシャツのおっさんが、吟味していた。
 筋向いはランボルギーニ。5台並べてありましたが、全て「SOLD]というサインが掲げてあり、納車待ちの模様。あー、凄いなぁ。中国。
 さて、お仕事の方は....。仕事については、書けません。なかなか、実りある1日であった。
今週は連日夜のフライトで次の都市に飛ぶ。よって、毎晩機内食か、時間があれば空港食。正直つらいなぁ。空港の韓国料理屋で牛のスープを食べる。これが今回唯一のレストラン夕食。残りは機内食だった。トホホ。
本日は、Crowne Plaza Jinan。まあ、普通に快適。

2011年6月19日日曜日

中国出張 Day1 北京へ

中国に5泊6日の出張に行った。先月末、今月初めにも出張案件があったのだが、原発事故が収束しない中、家族を東京に置いておくのは非常に不安だった。しかし、今回はなかなか面白い内容であったし、いつまでも出張拒否する訳にも行かないので、思い切って行くことに。
常に、原発状況をモニターすべく、モバイルルーターをレンタル。移動が多かったため、空き時間に仕事が出来て非常に重宝した。かなり田舎でも使えて、便利。
最短の滞在で済ませようと思い、行きは日曜日の夜発、帰りも金曜日の午後とした。本来なら、朝の羽田発で行って、半日観光くらいしたかったのだが......。北京行きのJALは737-800。飛行時間4時間なのだが、そんな距離飛べるとは知らなかった。しかし、首都同士を結ぶこの路線が767と737の2便のみとは実に寂しい限りだ。ビジネスクラスは6席しかなかった。
 北京への飛行ルート。前回の北京は確か1993年だったと思う。まだ、天安門事件の記憶が生々しかったころだ。いやー、そんなに間が空いていたってショック。当時はこの北朝鮮に引っかかるルートは飛べず、上海まで真っ直ぐ行った後北上する経路だった。5時間ほどかかっていたと思う。
ソウル上空を通過中。
北京空港。でかい。ただただ、でかい!
 チェックインは23時。パークハイアット北京泊。明日は朝早いため、取り敢えず風呂に入りすぐ就寝。先週からなぜか腰が痛く、思いやられる。部屋はなかなかモダンで広く快適だったが、正直それ以上の記憶が既にない。慌ただしい一週間だったからなぁ。
洗い場付きの異様に広い風呂だった。リビングからバスルームまでフルオープン。何もさえぎるものがない。大きくて、なかなかお湯が貯まらないのは困った。部屋が乾燥していたので、このままお湯を抜かずに寝る。あー、しかし深夜チェックイン、早朝チェックアウトの出張にこんなホテル使うのは勿体ない。

2011年6月18日土曜日

井の頭線の紫陽花

首都圏における井の頭線はかなり地味な存在。あらゆる私鉄が郊外から都心へ人を運ぶ中、吉祥寺から渋谷という南北でもなければ東西でもない中途半端な方角へ走っている。

初めて乗ったのは1991年の3月。滑り止めの私大の合格発表は電報で知らされた。順調にパス。まことに味気なかった。電報メールを、バリっと開封し、「あー、またあった」てなぐあい。本命くらいは、自分の目で見てみたいという思いを止められなくなった。時刻表を引くと、京都まで新幹線で行けば、その後は鈍行でも志望校の合格発表に間に合う!居てもたっても居られず、15時ごろの博多発の新幹線に乗ったと思う。20年前の話だ。

早朝の品川で降り、渋谷まで山手線、そして、井の頭線へ乗り継ぐ。当時、祖母の弟が沿線に居を構えていた。もち、初対面だが、早朝5時頃にあたたかい出迎えを受ける。早朝から、純和風の朝食を頂いて、いざ合格発表へ!!!!  そして、受かった~!!!

そのまま91年4月から、井の頭線での下宿生活が始まった。東京の生活が良いと思ったことは一度足りともないのだが、そうは言っても井の頭線は東京では最も親しみが持てる沿線だ。当時の彼女=今の妻ともこの沿線を何度も行き来した。青春の思い出がぎっしり詰まった沿線で、子供を育てるのもなかなか楽しい。
井の頭線の花の季節は勿論、さくらから始まる。この時期だけは、急行ですら「井の頭公園」に止まる。沿線には数々の名所あり。
 しかし、余り知られていないのが紫陽花の季節。正に、今です!パステルカラーの井の頭線と同様、沿線のあらゆるところに紫陽花が植えられている。6月中、楽しめます。この時期は、絶対急行に乗るべきじゃない。ゆーったりと、普通にのって沿線の紫陽花を鑑賞してほしいと思う。井の頭線の魅力は、鈍行にあり。

2011年6月13日月曜日

子供が描く原発事故


夕食後、5歳になったばかりの息子がサラサラとなにやら書き出した。呟いている言葉は、「1号機、2号機、4号機、汚染水、セシウム、ヨウ素、ストロンチウム、プルトくん、原子力建屋」などなど。「今日は汚染水の故障」とかも言っている。小さい四角がどうも「1号機、2号機....」の模様。上の黒いのが、爆発で飛び散る放射性物質の様だ。そして、左上の黒い部分の真下にある黄色い部分が「もうどくのプルトくん」らしい。真ん中右はロケットで、乗ってるのは妹。脱出を図っているらしい。本人は真ん中左側で、どうも自分で飛べるようだ。右側に両親を書こうとしたが、スペースがなく、途中で辞めて黒塗りに!?

んー、幼稚園児がこんな言葉を知っているなんて、ショックです。でも、本人と妹が明るい色で描かれていて、ちゃんと逃げられているというところが救いかな。親が黒塗りは、やや絶句だが。それにしても、特に教えたわけでもないのに大人の会話やTV、ラジオの声をちゃんと聞いてるんだなぁ。

原発賛成か反対かは民主主義なんだから、みんなで決めればいい。ただ、pros and cons は具体的な数値をもってきちんと議論しないと。イデオロギー論の人が多すぎる。特に、"知識層"に「そうは言っても、資源小国なんだから現実に即した判断を.....」って安易に言っちゃう人が多い。また、その議論の中には、経済的な部分以外に、安全保障へのインプリケーション、万が一の場合には今回の様に次世代以降に渡って多大な影響を及ぼすことを現世代がどう判断すべきかということも当然考えなければならないであろう。僕の試算では、全部止めてもピーク電力をで20%カット出来れば供給問題は十分クリア出来る。総使用量ではなく、ピークという点が肝だ。エアコンの使用方法がカギを握る。電気量の値上げは、月にたったのY1,000で済む。原発汚染への保険と考えれば、安いものだ。そして、このまま定期点検後の再開がなされなければ、否応なしにこの実験は行われることになる。色々な見方があるが、1Fの収束なくして、再開はないのではないか?今年の夏は暑そうだが、来年の夏はもっと暑いかも。こうやって、乗りきって見て、その経験を踏まえて真っ当な民意が形成され、最善の手段がインプリメントされることを切に願いたい。すくなくとも、54基も要らないことだけは確かだ。

追記:
このブログを見た友人から、うちはもっと凄いというメールが来た。同じく5歳児だが、なんと1Fの工作をやるそうだ。うちの息子と違い立体感がある!1~4号機まで揃っている。
5歳児がこういうことをやってるんです。大人の判断、責任は重要だ。

2011年6月5日日曜日

飛騨高山遠征

会社の近くで、飛騨高山観光キャンペーンのパンフレットを配っていた。過去に2度訪れ、大変気に行った街であったが、もう10年以上ご無沙汰だ。久し振りに訪ねてみたく、蓼科から遠征する。諏訪から松本まで高速に乗り、その後、安房トンネルをくぐり山の向こうに出る2.5時間コース。なかなか走りがいのあるドライブルートだ。
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 さてさて、やってきました高山市。この、落ち着いた和風の街並み。たまりません!
 外国人、修学旅行などなど、結構旅行者でにぎわっていました。ここまで来ると、完全にNuke Free!心底リラックスして楽しめた。
 街の中には地酒屋さんも多い。この「山車」さんは、試飲無料。4時間後には車を運転するので、それぞれ舌の先にちょこっと乗せるだけ。それでも、味の違いは分かる。色々と迷った結果、キリッと辛口のやつと、フルーティなやつを二本買ってみた。
 中心街を離れても、美しさは変わりません。
 日帰りなので、食事の機会は頑張っても2回しかない。しかも、もう東京では封印してしまった外食が、ここでは可能。あれこれ迷ったものの、やっぱりB級グルメに流れる。お昼は飛騨高山ラーメン。んー、らーめん、久し振り!
そして、ちょっと早めの夕食は えびす本店のお蕎麦。実は、10年ほど前に訪れたことがある。街中を歩きながら、あのおいしかったお蕎麦をもう一度食べたいなぁと探していた。最後の最後に発見!やはり、覚えていた味。おいしかった。

2011年6月4日土曜日

蓼科の初夏

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わがまち杉並区は、昨年首長が変わった。風を思いっきり読み間違って任期の途中で職を放棄し国政選挙に打って出たものの敢え無く敗北した前首長に代わって当選したのは、与党系の人。頑なに、区内の放射線量を測かることを拒絶。国の仕事と一点張り。んー、またまた納税意欲が失せる。今年は最大限、被災地に「ふるさと納税」するつもりだ。昨年、計算方法もマスターしたしね!一円でも多く、おくりますよー。現在、一番困っている自治体を調査中。

 ということで、汚染程度が正確に把握できずいまいちスッキリしない杉並区を後にして蓼科へ。この辺は、下水処理場のスラッジにこそそこそこの線量が出ているものの、土壌汚染、空間線量共に東京と比べると格段に少ない。長野でもこの辺は安全地帯と考えてよさそうだ。前回、2月の蓼科旅行の時は本当に平和だったなぁ。当時は雪景色だったが、今回はすっかり初夏の様相。こうやって決まった場所の四季を楽しめるのも、リゾート会員券の楽しさだ。

 近くのJAのスーパーでは、野菜、卵、肉、蕎麦、豆腐などなど、地元産の物を多く売っている。しこたま調達した。蓼科の田園風景。美しく、平和だ。福島でも、こんな風景が広がっているのだろう。見た目は全く変化ないのに、放射性物質に汚染されてるとは、本当にやるせないなぁ。





2011年5月22日日曜日

誕生日

長男、5歳の誕生日。いやー、早いものだ。1年って結構長いはずなのに、4歳、3歳、2歳、1歳の誕生日って、それぞれ順番がごっちゃになってしまっている。線として考えると、色んな事があったなぁと思うけど、それぞれの誕生日を点として振り返ると、なんだか本当に早い!

お誕生日プレゼントは、昨年は小さな腕時計をあげた。随分のお気に入りで、ほぼ四六時中つけている。
でも、12進法の時計は読み方を教えるのが本当に難しい。「いま、何時?」ときくと、「3時6分」と帰ってくるが、これは、3時半の意だ。

今年は、選ぶ楽しみを与えてあげようと思い、新しく東京駅に出来たプラレールセンターへと行く。「好きなの買ってあげるから選んでね」というと、ものすごい迷いようだった。「どれが欲しいかもう、分かんない。」 「自分でちゃんと、決めなさい!」 「んー、これもあれも わかんないよー」というやり取りをしつつ、1時間ほど迷って決まったのは、「白いソニック」

早速帰って、遊びました。僕も、子供のころにこれがあったら楽しかっただろうな。僕は、石鹸箱で作ってたよ.....。

残念ながら食品汚染が怖いので、今回初めて地元のケーキ屋さんで買うのを辞めた。いつも、お店の前に「○○くん、お誕生日おめでとう」と出してくれるので、その横で写真を撮るのが恒例行事だったのだが.................。家内お手製のケーキを楽しみました。

元気にまた一年過ごしてね!

2011年5月15日日曜日

富士山の旅


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落ち着かない東京から週末は逃げ出そうと思い、山中湖 ホテルマウント富士へ。しかし、その直前に神奈川県の茶葉にセシウムのニュース。なるほど、箱根、富士五湖周辺も良くわからないんだなぁ。ネット上での情報も限られており、なかなか安全に確信がもてない。なんとなくスッキリしない旅となった。
とはいえ、天気は良く現地に着いたらやはり気分が晴れる。ホテルは、そこそこ老朽化しているのだが、このあり得ない眺望に圧倒!いや、この立地は素晴らしい。この眺望があれば、後は何もいらない。


 山だけでなく、眼下には山中湖が広がる。

 プールもなかなか設備が整っており、快適。子供と2回も泳ぎに行ってしまった。
設備は古くなりつつあり、客室も均一的で味気ないものの、全てを眺望がカバーする、素晴らしい滞在だった。
 帰りに寄った、寝台特急富士の保存客車。富士急行線下吉田駅に一両のみ。しかし、保存状態がよくなかの雰囲気も十分に楽しめる。子供連れて、これで一度帰省出来たら楽しかっただろうなぁ.....

2011年5月9日月曜日

福岡疎開 まとめ

本日で福岡疎開も終わり。引き続き原発の状況は気になるものの、首都圏の汚染度合、汚染地図も見えてきたこと、大爆発が起きても国民の反応は鈍く、情報強者は逃げる手段が十分確保できそうなこと、2ヶ月に渡る疎開生活で長男が多少不安定なことから、東京に戻ることにした。ここからひと月はこの状況下、日々の生活をどう折り合いをつけることが出来るかの実験をすることとする。

今回改めて福岡という街を生活拠点にするメリットも実感した。
1.故郷という絶対的な安心感
ま、勝手がわかるということか。福岡よりも東京生活が長いため、東京の勝手も分かってはいるのだが、この街の価値観を僕はSubscribe出来ない。特に、色々な人の言動に僕から見ると非常にチープな見栄が見え隠れするのが嫌だ。お上品に、しかし強烈に張り合おうという姿勢が面倒。福岡は、こういう部分が非常にゆるい。

2.極端に割安な不動産価格
東京の予算の3割で良質な住居が確保できます。

3.物価の安さ

4.食事のおいしさ

5.自然の近さ

6.周辺圏の環境の良さ

7.教育インフラの整備
福岡は、安く良質な教育が出来るという点で抜きんでていると思う。先ず、中3まで受験とは無縁でいられる。確かに私立中はあるものの、「なんで勉強して金払って大したことない中高一貫教育を受けたいの?」というのが、一般的な認識。修猷館高校、福岡高校など地頭さえ良ければ中3の夏からの勉強で十分に間に合い、しかも全人格的教育が受けられる良質の進学校がある。東京では信じられないが、私は入学式で、「高校の3年間を勉強だけで無為に過ごさないように。受験勉強は4年計画でいい。二度と来ない高校時代を謳歌してください。」と言われた。本当に衝撃的なスタートであった。「なるほど、4年計画か。だったら、浪人して1年使うより、海外留学で1年使う方が良いなぁ」と考え、休学して交換留学で米国に行った次第。東京の進学校で勉強しても、結果的に入った大学は変わらなかったと思うが、それまでの過程、経験は大きく違うのだ。

8.社会インフラ
東京は無駄にでかすぎて、公共投資のメリットをなかなか体感できない。例えばC2の3号線と4号線が開通しても、一度も使うことはなかった。あれに、どれだけの金がかかったのか!一方、福岡はコンパクトな都会なので、公共投資のメリットをよりダイレクトに受けることが出来る。特に、交通インフラの改善は、この20年間で目覚ましいものがある。

ということで、短期的にはアジアシフト、中期的にはお父さん逆単身赴任の福岡での教育を考えたい。


2011年5月8日日曜日

福岡疎開生活 もつなべ&ラーメン


 今も昔もあんまり変わらない西新商店街。





 解説は......いりませんね。最高でした!!


 ちなみに、こっちはラーメン。いやー、福岡はB級グルメのチャンピオンタウンだと思う。ラーメン、うどん、焼き鳥、モツなべの様な、庶民の食べ物がマジでうまい!

ちなみに博多っ子の僕が推奨するラーメン屋は、
1.ふくちゃんらーめん 田隈 昔は藤崎に合って、学校帰りに良く行きました。伝説の美味さですが、最近は並ぶのが×××。博多っ子は、うまくても並んでまでは食べません。

2.ひゃくせんまん 飯倉 最近、急上昇。もう、ずーっとやってます。↑の写真もひゃくせんまん。
隠れた名店。しかも、絶対に並ばずに入れます。夜遅くなると、スープが煮過ぎの感あり。お昼頃 が、最高。

3.最近、No3の入れ替わりが激しい。しばらく@西新、みらくる亭@西新....?

却下
チェーン化したところは、どこも却下です。特に、一蘭なんかは、博多っ子にしてみれば、ラーメンを冒とくしてると思えるほどのまずさです。うまかっちゃんの方がよほど美味い。

2011年5月6日金曜日

福岡疎開生活 雲仙遠征編

温泉に行きたいという家内のリクエストを受け、雲仙へ。雲仙なんて小学校の修学旅行ぶりだ。
福岡から、下道をタラタラと3時間程度。いやー、なかなかいいところだなぁ。九州。再発見だ。
 何だか登別に似ている地獄谷。福岡出身のくせに、登別はもう20回は行ったのに、雲仙は2回目。

 オジサンが、「あー、真知子岩だ!」と駆け寄って写真を撮っていた。思わず、なんですか?と聞いてしまう。なるほどなるほど。

 夕食も、なかなかおいしかった。「具雑煮」......というか「あご出汁」に目覚めた。
 翌日は、島原へ。雲仙普賢岳の様子。こりゃ、凄い。
どこから火砕流が降りてきたのかよくわかる。
 有明海。
んー、本当に九州とはご無沙汰が続いていたが、改めて旅してみるとなかなかいい。しかも、北海道ほどだだっ広くなく、まあ効率的に異動できるのも良いなぁ。有明海の海の幸を一杯仕入れて帰りました。たとえ、日本中の海が放射能で汚染されても、この内海は大丈夫のような気がする。