疎開 I 3/14 から1週間 福岡
疎開 Ⅱ 3/20から3週間 香港
疎開 Ⅲ 4/24から2週間 福岡
ということで、東京で2週間すごしたあと、再び家族を疎開させる。原発災害から6週間たっているのに、いつ何を持って収束とするのかすらわからない状況。果して東京の汚染度はどの程度か。安全な食料の流通は如何に担保されるのか。全く分からない。子供の健康についてのリスク許容度はゼロ!ということで、再疎開を決意する。取り敢えず、連休明けまでが目途だ。帰ってくる条件は、安全な食品、水の確保が出来る事と、東京の汚染状況が把握出来、それを許容できることか。
徐々に分かってきたことだが、東京に大量の放射能物質が降りそそいだ3/15に、子供達はすでに福岡に疎開していた。あれだけの混乱の中で、香港行きが急きょ中止になったわけだが、よくぞそのまま福岡行きの飛行機に載せたと思う。我ながら、的確な判断であった。
震災を機会に、自分のオリジンは?価値観は?人生観は?家族観は?と色々な事を考える。やはり、家族は一番だ。一方、東京に暮らしているということに強烈な疑問を抱きつつある。もともと、東京に憧れたことなど一度もなかった。地元の大学に行こうと思っていたら、高3の夏休みに勉強しすぎて成績が上がり、勿体ないから東京の大学を受けたという、非常に消極的なきっかけでこの地に来たのだった。以来、通算15年もこの街に住む羽目になってしまった。これまで住んだ福岡なり、札幌なり、ロンドンなりは、「あーー、この街って最高!本当に住んで良かった!」と実感することが多々あった。東京で、これまでにそう感じたことが一度足りとてない。本当に、一度もない。なんで、こんなに嫌な所に、住み続けているのであろうか。幸い、多額のローンを組んで生涯をこの地にコミットする様な事はやっていない。今年は、原発を良いきっかけとして、自分が追求したいライフスタイルを見極める元年にしたいと思う。
福岡へ、中期疎開するのもその一環だ。
0 件のコメント:
コメントを投稿