ブログ アーカイブ

2014年8月5日火曜日

読書記 ザ・チーム 齋藤ウィリアム浩幸著   「評価される」技術 横山信治著   チーム!ちーむ!Team!


齋藤ウィリアム浩幸氏の日経のWeb版エッセイが目に留まった。中々面白いこと言うなぁと思い、この本を手にした。本の中身はやや冗長で、本人の自己紹介的な部分も多い。しかし、彼が言いたいことはただ一つで、その一つがあまりにも的を射ている。でも、それだけじゃ本にならないから、色々とフリルをつけた印象。
その指摘というのが「日本にはチームがない!」ということだ。僕は日本の会社とイギリス資本、アメリカ資本の会社で働いたことがある。外資のキャリアの方が断然長い。その目で日本の企業を見るとかなりの違和感があった。日本企業のイメージは、和、助け合い、すり合わせ、協調、長期的視野などというものであった。しかし、実際は全く違う。もうビックリするほど個人主義なのだ。最初はこの事実に驚いたが、その会社特有のカルチャーなのかと理解していた。しかし、どうもこれは一般的なことの様だ。
齋藤氏は日本にはグループはあるがチームはないという。まったくその通り。外資では、成果を出す最少単位は必ず「チーム」となっていた。それが、日系では正に「グループ」という名称になっていた。
氏いわく、グループは「あらかじめ決められた目標を遂行するために集められる組織」ということ。個々のメンバーは目標の立案にはコミットしておらず、ある目的を達成するために割り当てられた仕事をその通りに実行することを期待される。提案や創造性の発揮は求められていない。反対意見はグループの分裂につながり容認されない
一方、チームは「互いに目標を共有する。この達成のために助け合い、補い合いうことが必要なことをメンバーが理解している。メンバーは仕事をさせられているというのではなく、自分が主体的にやろうというオーナーシップを持っている。自由に意見を言い合って、コンフリクトを恐れないし、寧ろアイディアが生まれるチャンスと見る。
これは、素晴らしい定義だ。正にその通り。なぜ、日本にはチームがないのか?彼に言わせると、教育システムそのものに原因があるらしい。小学生から中学受験に照準を合わせ、他人に優ることを課せられ続ける。そして、このシステムの勝ち組である東大、一橋、京大卒が様々な組織でトップに立ち、個人プレーを行い、これを正当化する。一方、米国ではチームプレーを徹底させる。大学受験時は学業に加えて、どの様な形態で、なんの活動をしてきて成果を挙げたかを問われる。そこにはユニークさとチームプレーが求められる。僕も米国の高校も卒業したが、このことを現地の高校のバスケチームを通じて実体験させられた。Varsity Teamは学校の顔。スキルの差はあれど、みな自分の役割を徹底して全うすることにより試合に勝つことを求められ、これを実行した。そして、無名だったチームはミシガン州西部地区で準優勝し、チームの誰もがコミュニティから余すことのない賞賛を浴びたのだった。
日本は「集団における既成の組織力が驚くほど強く、いったんでき上っている組織の変更は、集団の崩壊なしには不可能である」とは氏が引用している「タテ社会の人間関係」での中根千枝氏の記述。これでは、業績が悪くなった企業の立て直しは非常に困難だし、M&Aも成功しないだろう。ここから10年、日本ではあらゆる業種でプレーヤーが2社乃至3社となるM&Aが進むと考えているが、この統合をこれまでの「グループ」でやるか、「チーム」として立ち向かうかで全く違う結論となるだろう。非力ではあるが、これを機に私も日本におけるチームの伝道者の一人となりたいと思う。


同じ時期に図書館で目に留まり借りたのがこちらの本。まったく真逆の本である。日本人として、日本の会社で評価されるためのノウハウ本。これまた結論はただ一つ。「上司の喜び組たれ、道開かれん。」 なかなか面白く、共鳴する部分もあったが、つくづくこれは僕には無理だと思った。ただ、人は誰も自己を肯定してもらいたく、この欲求を満たしてくれる人を評価するというのは日系も外資も関係ない真理であると感じた。



日本にいま必要なのはチームだ!


0 件のコメント:

コメントを投稿