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2011年6月30日木曜日

金沢出張記 日帰りの筈がDay 1

金沢日帰りの出張案件、9時に東京を出て、17時には戻られる。しかし、折角の金沢、そんなんでは、勿体なさすぎる。なんてったって飛行機での地方出張なんて数年に一度だ。前回は、08年の長崎だった。あの時も思い切って前泊してなかなかおもしろかった。東京で飲み屋に一人で入ることなんて、決してないんだけど出張先だとふらーっと入って色々と話が出来てとってもおもしろかった。また、あれをやって見たい。
 そう考えて、会社を定時前に出て夕方の飛行機で金沢へ。勿論、ホテルも飯も全て自腹でござい。
 金沢へは、確か93年に当時の彼女=今の家内と旅行に出かけた。あの時は、急行能登で出かけたので、この飛行ルートは初めて。日本アルプスで日本海からの雲が遮られていて、その先は晴れていたのはとても印象的だった。
実質45分のフライト。短っ!でも、空港から市内は離れていて、バスでまた50分。まるで、ライアンエアーだ。早速ホテルにチェックイン。
ふらふら歩いていると、おいしそうな気配のするお店を発見!早速入って見る。と、なんと僕一人。でも、おばあちゃん女将さんとおじいちゃん料理人の居心地が良いお店で、あれやこれやとお話ししながら、箸が進んだ。
これは、岩ガキ。僕の大好物だ。隠岐の島だけかと思っていたら、この時期は能登半島のが旬らしい。原発事故で三陸物が食べられなくなった今、これは貴重な情報!

 あれやこれやと加賀料理のメニュー

 やはり、「のどぐろ」ですかね。淡白なのに油がのっていて、本当においしかった。3.11以降、実は魚を食べたのは初めてだ。
 その後、一旦ホテルに戻って風呂に入ったのだが、なんとなくこれで終わるのも勿体なく、続いておでん屋へ繰り出す。なんだか、屋台村みたいな地域があった。
まあ、おでんは普通だったけど、屋台的な雰囲気と、地酒があれば"2次会”としては十分楽しい。店主との会話もなかなか楽しめた。いや、ホント、決して東京でこういうことはしないのに、なぜ地方都市だとフラッとお店に入って会話が楽しめるのだろう。理由は実は明確。東京はむやみやたらと張り合い、牽制し合い.........そういうのを相手にするのが余りに馬鹿馬鹿しく、かつ面倒だからなのだ。地方都市だと、そういうことを抜きにして、一人の人間として人と接し、楽しめる。あー、本当に東京ってどうしようもなくつまらない場所に、どうしようもなくつまらない人間が住んでいるんだなぁ。
お店を出たのは、なんと3時近く。明日、仕事なんだけど、ちょっとやりすぎたかな?いや、これがメインイベントでしょう!

2011年6月29日水曜日

高校生交換留学の勧め

高校時代にできる最高の経験とはなんでしょう?ちょっと、考えてみてほしい。
部活に打ち込むこと?
東大に入るために必死で勉強すること?
甲子園で優勝すること?

僕は、最高の高校生活を送ることができたと自負している。それは、「交換留学」のプログラムを通して、米国で貴重な1年を過ごすことができたからだ。動機は実は不純だった。小中学校では常にクラスで一番の成績だったのに、高校で地元のトップ校に入ってみると回りは秀才だらけ。最初の中間テストでは、下位10%。最悪は、その次のテストで470人中444番。下位5%でしかも、4のぞろ目。これは、ショックだった。世の中、広い。人と違うことをしないと、ちょっと頭よかった位じゃ埋没しちゃうという危機感に苛まれた僕のチョイスは、「そうだ、アメリカ行ってみよ!」というものだった。当時、アマチュア無線をやっていたため、英語はそこそこ話せた。なんと言っても、会話の実践の場があったのが良かった。たぶん、なんとかなるだろう。これは、強烈な差別化になるに違いない。そして、早速1年生の夏にYFUの選抜試験を受けたのだった。

試験は得意なので、ペーパーは難なくパス。続いて面接試験。当時、母親は体調を壊して長期入院していたため、父親と二人で望む。今考えれば、数々の採用を行っていた父にとっては、面接など楽勝だったに違いない。異様にボーイスカウトでの経験、効果を強調していたことを思い出す。当時、10%程度の合格率であった先行試験も難なくパスし、いよいよ高2の夏から一年間米国ミシガン州で過ごすこととなった。

現地での生活など、詳細は別の機会に詳しくお話したい。1年間は大変長かった。必ずしも、楽しいことばかりではなかった。いや、行ってる間は、つらいことの方が多かったように思う。しかし、あの時ほど自分の内面と真摯に向き合ったことはない。自分は何ものか?何ができるのか?何が人と違うのか?自分はどういう人生を送りたいのか?英語は格段にうまくなったが、こんなものは副次的な収穫でしかない。最大の収穫は、個の確立ということだったと思う。16歳という若さで、あれだけまじめに色々なことを考えることが出来たというのは、本当に有難かった。日本人よりも外国人との方がより強い信頼関係を築くことが出来るのも、このときの経験に拠るところが大きい。正直に言って、未だに個が確立していない日本人と付き合うのは、苦痛ですらある。

なぜこんなことをブログに今日記しているかというと、そのYFUが来年夏からのプログラム参加者の願書受付をまさにこのタイミングで行っていることに気がついたからだ。締め切りは7月19日。まだ、間に合う。今、高校1年生、2年生の人で、ピンと来た人。うちの子供に向いてるかもしれないと思った親御さん、国際人になりたい、国際人に育てたい、でもドメドメの自分にはどうやればいいかわからない。そんな皆さんは、ぜひ検討してみてほしい。たった一年の経験が、強烈にその個人の人格形成、人生に影響します。強烈にプラスのインパクトを与えます。もちろん、受身ではダメ。積極性が成功に導く最も重要な要素であることは、強調しておきたい。留学経験が本当にプラスに生きている人は、3割だと思う。

プログラムの詳細等は、こちらをご参照されたい。


2011年6月24日金曜日

中国出張 Day6 広州=>東京

朝起きて、そとを見てみると.....んー、いい眺めとはいえないなぁ。

広州の空港。いやー、ここもまたでかい!そういえば、広州と福岡は姉妹都市だったが、こうやって見るといつの間にか市の規模は完全に逆転した感がある。しかし、姉妹都市って面白いな。なんとなく、親しみがわく。姉妹都市の記念に、福岡の動物園にパンダが貸し出され大ブームになったことがあったなぁ。確か、1980年だったと思う。31年前か.......。

全く中華を食べてないのが残念で、ラウンジに行くのはやめてレストランに入る。おいしそうな麺料理。
さて、慌しかった出張も終わり。まあ、思い切って出てきてよかった。そういえば、「もんじゅ」の「手術」が一応無事に終わった。これも、あまり報じられてないが、かなり喜ばしいニュースだ。
離陸後すぐの風景。意外と風光明媚な景色が続く。一度、こういうところも訪れてみたい。

2時間後には、上海上空を飛ぶ。浦東のビル群が眼下に。
上海浦東空港。あれだけの巨大空港が全て見える。なんだか、宇宙船から眺めているようだ。
上海を過ぎて、1時間もしないうちに有明海が見えてきた。背振から糸島のほうまで一望できた。これは、本当に面白い飛行ルートだ。

夕刻の雲海がとってもきれい。飛行機の上から眺めると、50Km、100Kmというのはたいした距離でないことが良く分かる。原発が近くにある生活って本当に怖いなぁ。
中国は、毎回行くたびに感心する。まさにアメリカの大都市の様な町が3,4時間のフライトでいける範囲に沢山できている。これは、考えようによってはとってもエキサイティングだ。これからどんどん新しいサービス産業が出てくると、旅行先としても面白くなるだろうな。

さ、気合を入れてマンダリン勉強しよう!

2011年6月23日木曜日

中国出張 Day5 重慶=>広州

 重慶の朝食はかなり微妙であった。ポーチトエッグの下のスモークトサーモンが、熱で焼き鮭になってしまっている。明らかに冷凍モノを使ったハッシュトポテト。しかも全て冷たい。結局パンとコーヒーで済ますが、コーヒーも微妙な薄さ。こういうところに、沿岸都市と直轄市とは言え内陸都市の差がでるなぁ。
ホテルからの眺め。殺風景だ。
揚子江の上流に位置する。
RAV4の様な、CR-Vの様なローカルの車。ヘッドライトは一つ前のレガシィか?
なんちゃってBMW。
なんちゃってマツダ。いや、なんちゃって車もかなり完成度が高まっていてちょっと怖い。
金型の精度が上がってきているのか?
一度、テストドライブしてみたいなぁ。
ランチは四川料理。今回、初めてまともなレストランで食事をした。
これが、最初で最後。本当に忙しかったなぁ。
一年ちょっと前にも重慶は訪れたが、そのときと比べても格段に都会の様相。2年前は、内陸部にまだまだ固定資産投資する案件は沢山あるということであったが......。
直轄市の重慶は置いておいても、中小の都市でもかなりの資本形成が終わりつつある印象を強く持った出張であった。

今回も、またまた遅延。4回の国内移動中、3回がディレイ。しかも、機内に座らせてのディレイは正直つらい。今日は、3列の真ん中の席で2時間弱、更に2時間弱のフライト。もう、Walkmanを耳にして、「周りには誰も居ない!」と言い聞かせ、地蔵と化す。
ところで、これ空港にあったお店。あらゆる"ブランド"がこのブームをマネタイズしようとしている。BMWロゴのシャツやアウターなどが売ってあった。なんだか、かなりこっぱずかしいお店だ。
またまた、深夜のチェックイン。本日は、グランドハイアット広州。ここもまた、シースルーのバスルームだ。
まあ、洗い場があるのは日本人としてはうれしい限りではある。しかし、こうも毎日似たコンセプトの部屋だと、それぞれの印象が薄れるなぁ。

2011年6月22日水曜日

中国出張 Day4 上海=>重慶

 Four Seasons Shanghaiの朝食ルームサービス。どーんと出てくるアメリカンブレックファストは重たいけど、コンチネンタルも寂しいし、中華朝食は連日頼んだし....ということで、オムレツ+パン+コーヒーのアラカルトにしてみる。なかなか、おいしかった。オムレツに塩掛けて食べてたんだけど、食べ終わった後にケチャップ発見。こりゃー残念だ。
 上海市内。
 やっぱり、中国でも上海は別格だなぁ。結構きれいだ。これなら、家族ずれで旅行も楽しめそう。
 上海の高速道路。兎に角、アメリカン。片側4車線をバンバン通って行く。まるで、ロスの様。
 みっちり、お仕事だったけどなかなか実りある1日であった。記せないのが残念。

 上海浦東空港で初A380.。こりゃーでかいわ。
 上海空港も本当に、でかい!
 なんと、ななんと、また遅延。どうも、天候不順で、1日乱れている模様。結局、2時間弱で重慶へ。
中国の国内線は、大変だ。
 今晩のお宿は、Sofitel Chongqing.。これまた、ゴージャスな部屋だった。しかし、中国では風呂=>ベットルームがシースルーになっている所が多い。なんとなく、落ち着かない。
今回も、深夜チェックイン、早朝チェックアウトで睡眠は5時間以下。ちょっと疲れが出てきた。

2011年6月21日火曜日

中国出張 Day3 済南=>灘坊=>上海


 今日のルームサービスも中華式。昨日の北京は3000円を超えていたのに、ここでは1000円弱。こういうところに、地域差が出るなぁ。なかなかおいしかったが、麺が「味の素」臭いのは閉口。「味の素」の罪は本当に大きい。ろくに下味も作らず、パラパラやっちゃう。アジア中でこの味に出くわす。本当に残念な瞬間だ。
 これがホテルからの眺め。北京⇔上海の新幹線の停車駅となり、急速に投資が進んでいる。
 街じゅうで、こういう大規模な建築をやっていた。
 ただ、この街ではまだそこそこの自転車を目にした。中国の都市は、誰が決めたのか、規模によってTier1、Tier2、Tier3.....と分けられている。この済南はTier2都市だが人口は800万人。どんだけ、人がいるんじゃー。
 立派な建物は全て共産党、政府がらみ。あ、日本もそうか。地方都市に行くと、市庁舎だけは立派だもんね。
 街中。道だけは広い!
 済南市の駅。ここから、CRH 中国版新幹線に乗ります。
 中国の鉄道は、直前まで改札がなされず、こういうところで待つことになる。いやー、人が多いわ。
 大陸的な、駅の様子。
 こういう機関車もまだ健在。横の客車は、ウルムチ行き!大学時代、あの客車であちこち旅をしたなぁ。
 そして、これが今話題の中国版新幹線CRHだ。川崎重工と南車のJVで作ったのだが、いつの間にか技術を盗まれ、独自技術と吹聴されてしまっている!!

 車窓。工業地帯と農業地帯が混とんと存在している。東海道新幹線沿いみたい。
 灘坊市へ。ここも、道だけは広い。先ず、高速は4車線。一般道も最低3車線。

 駅前は、新しいビルが沢山建設中だった。
 灘坊駅前。
 駅前の様子。

 行きは1等で、そこそこ静かだった。問題は帰りの2等。もう、騒然としている。酒飲んだり、トランプしたり、ひまわりの種を食べたり。硬坐の車内と全く変わらない。変わったのは、列車の速度だけだ。
 駅前の露天。
今日は、夜に済南から上海への移動。22時にはチェックイン出来るはずが、上海浦東が午前中天候不順で、全ての飛行機が虹橋に着陸したため終日ダイヤが乱れていると。結局、3時間出発が遅れ、チェックインしたのは午前1時半過ぎ。過密スケジュールの上に、最後がこれだ。心底疲れた。
 上海のホテルはフォーシーズンズ上海。フォーシーズンズは、僕が最も気に入っているホテルブランド。重厚な雰囲気が最高に心地よい.........はずなんだけど、もうへとへとでそんなの楽しむ気分にすらなれなかった。
実質滞在は、6時間。それで、こんな良いホテルに泊るのは本当に勿体ないよー。これなら、ビジネスホテルで全くOK。甚だ残念だ。