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2015年2月20日金曜日

また、また、また、また、また、また、また、また、また、また、また、また福岡!

また、福岡です。今回は、スカイマーク。残念ですが、A330は飛んでません。737-800です。 
むむ、ジェットスターより広い!若干広いだけだけど、これで満足。  
今日はデイフライトで、かつ日本中晴れということで、窓側を取る。飛行機は、ほぼ満席だ。 
自宅近くの上空を飛ぶ。真ん中の緑地帯が善福寺川公園だな。 
日本アルプスも綺麗に見えた。 
福岡アプローチ。久しぶりに南側から着陸の模様。 
大濠公園。 
山に突き当たる前に大きく旋回し着陸した。 
北天神のウェストで昼飯を食べる。 
母の病室より。2/11に来た時より更に弱ってしまっている。か弱い声で一生懸命話しているが、3割程度しかわからない。「○○って言ったと?」と聞き直すと、どうも見当違いだった様子で、何度か困ったなぁという感じで苦笑いしていた。
ん~、ここから良くなる様子がイメージできない。やはり、移植は体力的に無理だったのだろうか。もっと、最初からこの病院に来ていたら良かったのに、転院する間に折角の貴重な寛解の時間を無駄にしてしまったのではないか。白血病M6b型というのはわかっており、寛解の時間が貴重なことは認識できていたはずではないか。いや、12月に移植に移っていては、それこそ昨年の間にダメになってしまっていたかも。
1/13に移植を決断したが、せかせてしまったのではないか?座して死を待つくらいなら、頑張りたいというのは本当に母の意思だったのだろうか?そういう風に僕が仕向けてしまったのではないか?もし、移植をしなければここまできつい思いをせずに、そしてもうちょっと長く生きられはしなかったか?色々な思いが交錯する。

翌日は、朝11時から面会時間だが、時間を勘違いして10時に病院に着く。そのことに病院の手前まで来てやっと気が付いて、なんだか混乱してるなぁと実感した。病室に入るが、母は呼びかけると気が付くものの殆ど眠ってしまっている。起こしても、話せないしので、見守ることにする。ドンドンと時間が過ぎていく。色々と話が出来た1月末のお見舞いがずっと昔のような気がする。 そうこうしているうちに、時間がどんどん過ぎてしまう。

何があっても良い様にと、移植準備の抗がん剤投与が始まる前に、母に改めてメールをした。男の子の成長=母親からの自立であり、世の中の母親というのは可哀想だということ。それでも、きちんと子離れして、子供の成長を遠くから見守り喜んでいたのは立派であったこと。そして、今一度母親との関係を振り返ってみて、これまで自分自身が思っていた以上に母親からの良い影響を受けていたことに気が付いたこと。それはすなわち、生活を楽しむとか、人とうまく付き合うとか、冗談を言ってみるとか、そういう勉強とか社会的成功とかとは切り離された、人間として楽しく生きる術の様なことであったということ。これが無ければ暗い人生であっただろうこと。そして、無菌室でマスクをすると、目の周りが母親そっくりであったことに気が付いたことなどなど。母からの返事は「泣かせるメール有難う。云々。」であった。きちんと伝えられ、本当に良かったと思う。

最後に病室を去る際に、母親の耳元で、「色々とこれまで有難う。春休みにまたみんなでくるけん。頑張ってね。」と言った。これだけ頑張ってるのに、更に頑張ってねとは酷だが、母は「大丈夫。心配せんで。これじゃ死なんけん。」とか細く、でもハッキリと言っていた。 
帰りのスカイマーク。最前列で前が広々。再来週はシンガポール出張だ。次のチケットは3週間後。随分と先に感じる。どうなるんだろう。持ちこたえてほしい。

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